豊川稲荷へ(その1)

toyokawainari1.jpgお稲荷さんと聞いて神社と思われそうですが、実際には曹洞宗の寺院ですので南無釈迦牟尼佛な訳です。稲荷とキツネが一体何故信仰を集めているか、その答えはネット上に沢山出ていますので割愛します。キツネでご縁があるのは新美南吉の童話が残る半田市。農村の暮らしにキツネは付きもの。化かし合いをしている狸とキツネはカップ麺にまで使われています。知多半島における人とキツネの関係はエキノコックスが出てきて劇的な転換期を迎えています。この日は代休だった子供たちも一緒に参拝。お千代保稲荷以来のお稲荷さんです。

toyokawainari2.jpg石屋が見るのはまずは石製品。それも古い石です。今加工しているびしゃんや叩きの仕上の目指すところがどこにあるか。それは経年後の姿を見れば明らか。石の仕上が方法が多岐にわたるのは、風化した後の姿をコントロールするため。ですから出来上がった直後のイメージで石を仕上げるのは本質的に間違っていると思います。100年、200年後の姿をどうしたいか。それを念頭に今の仕上方法を決めるのです。そこを分かるにはとにかく古いものを見るしかありません。幸い日本には古い石製品が沢山残っています。旅して学ぶ。それこそ自ら現地へ赴いて得た知識が大切。


toyokawainari3.jpgこの石の風合いをどう伝えるか。時間軸の長いモノの価値ほどリモートで伝わりにくいと思っています。上手に伝える事に特化した人も沢山いますが、本当に伝わっているのか甚だ疑わしいのです。分かった気にさせるのが上手い人の方が多いのではないでしょうか。それは本当に危険で、目先の情報だけで物事を判断する人を操作するようなもの。コロナ禍でその傾向がより強くなってしまったかも知れません。現物現地確認に勝る情報は無く、この石の風合いは現地で見て感じる事が一番です。

toyokawainari4.jpg キツネは苔むして緑のたぬきならぬ緑のキツネと化しています。石製品も時代を反映していまして、古いキツネと新しいキツネは全く異なる姿をしています。何ででしょうか。ここから先は勝手な想像ですが、昔の石工はキツネと共に暮らしていたのだと思います。家畜化していた訳ではありませんが、暮らしの近くにリアルなキツネがいて、実際に見ていた。そして今の石工は図鑑やネットの画像、TVでしかキツネを見ていないのだと思います。いわゆる想像の生き物化してしまったのではないかという仮説。そんな事で現物現地の大切さを日々痛感しています。

 

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